私の心は夏模様
すごく本質的な話をしそうになっているが、今日はやめておこうと思う。
なぜなら、今これを書いているのがスマートフォンであり、私の体は既にベッドの中であるからだ。
真面目な話はPCから書きたいという謎のこだわり。
私は筆記具によって気合の入り方が変わるのだが、それは電子機器でも同じであるらしい。
自分の手の延長として馴染むもの、という感覚。
なので、いつも通り、割とどうでもいい話。
先刻、井上陽水の『少年時代』を耳にした。
恐ろしいまでの名曲なのは異論を挟む余地はないわけだが、ふと、果たして令和の少年もこの歌詞のような夏を送れるのだろうか、と思った。
コロナ禍や異常気象の只中で、風あざみやら夢花火やら、何のことやら?となってしまうのかしら。
もっとも、私のような昭和生まれも、江戸時代みたいな夏は過ごしていないわけで、それを「可哀想に」などと言われても「うるせぇ」としか思わないわけで。
カブトムシの食べ物は昆虫ゼリー、と寺田心くんに言われて膝から崩れ落ちた香川照之の気持ちはよく分かるが、心くんが間違ってるとは言っちゃいけない気もするのだった。
自分の思い出に、若い世代を巻き込むのは止そう。
と、確実に人生を折り返した自分に言い聞かせつつ、今日はおしまい。
そのうち音楽の話もいっぱい書きたいなぁ。